今年も残すところあと僅かとなりましたが、皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか?
2020年は色々な面で我慢を強いられた年でしたね。
我が息子はバレーボール部主将を務めていて、今のチームで県大会出場を目標に奮闘していたところで
大会中止を宣告され、不完全燃焼のまま受験生へ移行してしまいました。
もちろん息子だけではなく、多くの方々が同じように悔しい思いや、不完全燃焼の状態を強いられた
ことでしょう。
変異種なる新型コロナウイルスも確認され、この年末年始含め、まだまだ厳重な警戒態勢の必要な生活が
続きますが、極力リスクを避けて2021年も乗り切っていきたいものです。。。
と、締めのような言葉で始めてしまいましたが、今回のレポートは、娘の通う大学で課題となっている
愛知県名古屋市にある『トヨタ産業技術記念館』へ見学に行き、へぇ~と思ったことをお伝えします。
まぁご存じの方が多い内容かもしれませんが、しばしお付き合いください。m(_ _"m)
歴史の深さを印象付けるかのように、赤レンガ造りをイメージした外観の建物が、出迎えてくれます。
実は今回で3回目の訪問なので、あんまり画像を撮ってこなかったんですが、まずはトヨタ自動車の源流
である、豊田佐吉翁が設立した(株)豊田自動織機のブースから始まります。
トヨタ自動車のルーツをたどると、昔話にある『鶴の恩返し』で登場する『はた織り機』の改良が原点
なんですね。
普段、何気に着用している服などの布は、縦糸と横糸で構成されていて、はた織り機は長い縦糸に対し
横糸を通して『ガチャンガチャン』と織り機を動かし、布の目を詰めていきます。
当時、母親が横糸を通すのを見た少年時代の佐吉翁は、あれを何とか楽にしてやる事はできないだろうか?
と考え、研究に没頭し、横糸を自動で飛ばす機構を開発したのが始まりです。
そうやって研究家、発明家としての佐吉翁が誕生したわけですが、今のトヨタ自動車に根付いている
『改善活動』の元にもなっているわけです。
その後、はた織り機は次々に進化を遂げ、完全自動化までこぎつけ、さらには機械が勝手に縦糸の異常を
感知し機会を止める機構までも開発、自動化のを『人が見ているような機構を加えた、自働化』と表現
されたと言われています。
そんな感じで、館内の序盤は豊田佐吉翁、豊田自動織機が進化させてきた『はた織り機=織機』が進化の
過程がわかるように数多く展示されていて、実演作動もさせていただけるんです。
ここまで長々と説明しましたが、画像が全くございません。m(_ _"m)
そして、佐吉翁の息子である豊田喜一郎氏が、現在のトヨタ自動車を立ち上げたわけですが、3回目の
見学にして初めて知ったことがありました。( ̄▽ ̄;)
それは『トヨタ自動車』の元々は苗字である『トヨダ』と濁点が付いていたということ。
当時のエンブレムはアルファベットで『TOYODA』と表記されていたんですね。
そこから、ある時を境にある理由があって『トヨタ』へと変更されたんです。その理由についての説明文を拡大しておきますので、一読いただければ『へぇ~!』となるでしょう。
ちなみに、説明文にある一般公募で届いた数千件の中から選ばれ、採用賞金は現在の物価にすると30万円
相当だったとのことを、綺麗なスタッフのお姉さんが教えてくれました。(´∀`*)ポッ
今回のお伝えしたいことは以上と、あまり濃い内容ではないんですけどね。(;^_^A アセアセ・・・
あとは、娘の課題にあるエンジン部品の『コンロッド鍛造実演』やらボディー外板の『プレス機構造』
組み立てラインの『ロボット実演』などを見学。
最後は展示車にテンションを上げつつ、画像を収めてきたのは言うまでもないことですが、数々の名車が
並んでいる中、私の気になった車両を数台ピックアップして紹介しますね。
まずは1台目、発表された時は非常に衝撃を受けたのがこの『セルシオ(UCF10)』前期型です。
1989年に登場した初代セルシオのデザインは、バン!と存在感をアピールするグリルが印象的でした。
搭載エンジンは1UZ-FE型 V8の4.0Lで、当時は静粛性でメルセデスを圧倒したとか。
この頃からでしょうか、『いつかはクラウン』と言うセリフが『いきなりクラウン、いつかはセルシオ』
なんて若者の自動車事情が変化したのを覚えています。
様々なジャンルの車を好む私は、例にもれずセルシオのプラモデルを3つ購入し、1つはフルノーマルで
組上げ、2つ目はただのシャコタン、3つ目は屋根を切ってタケヤリマフラー付けて…なんてことをして
楽しんでましたね。(;´∀`)
そして、通称『ダルマセリカ』でお馴染みの『セリカ クーペ 1600GT(TA20型)』は1970年
12月に登場、当時は珍しい丸みを帯びたふくよかなボディーラインが『ダルマ』の由来だとか。
ヤマハ製2T-G DOHCエンジンは最上級モデルの1600GTに搭載されていたそうです。
1972年8月にはマイナーチェンジでモータースポーツ用ベース車両として、サスペンションを強化した
『1600GTV』が追加され、1973年4月には3ドアリフトバック(LB)が登場、エンジンは
高性能版の2.0L DOHCを搭載した『LB2000GT』が人気を集めたそうです。
そして1977年がモデル末期、型式がTA30型に統一され、特別使用車の『ブラックセリカ』が
登場し、ダルマセリカの時代に幕を下ろすという、ふか~い歴史が刻まれていたんですね。
次は大御所の『トヨタ 2000GT(MF10)』は1967年~1970年の販売期間、写真は前期型
直列6気筒 DOHC 3M型を搭載している車両です。
当時の車両価格は238万円、21世紀初頭の物価にすると1500万円~2000万円に相当すると
言われていて、やはり一般人にとっては高嶺の花的な超高級車だったことは言うまでもないですね。
わたくし、実は後期型があることを最近知ったんですが、近所の国道で後期型を見かけたんですよ。
気付いたのはリヤのリフレクターが大きかったので違和感を感じたんですけどねぇ。
パッと見てわかる部分として、フロントフォグの大きさが後期型は小さくなっていたはずです。
映画『007』のボンドカーとして使われていた名車は、今も9割は現存しているらしいですよ。
最後は『レクサス LFA』は、2010年12月~2012年12月の間で限定500台を生産・販売した
現在の超高級スポーツカーです。
V10 DOHC 4.8Lを搭載したこの車両、走行中の排気音を聞いたことがありますが、心地の良い
甲高いサウンドがスポーツカーファンの心をくすぐるんです。
排気音含めたマフラーのチューニングはヤマハが手掛けたとか言う話を聞いたことがあります。
販売価格は3750万円とマイホーム2軒分ほどの目ん玉飛び出るほどの金額に、思わず『家やん!』
とツッコミを入れたくなってしまいました。
他にもトヨダ時代の車両も含めて沢山の展示車と、歴代トヨタ車のミニカーも飾られていて、自動車好き
には非常にテンションの上がるゾーンがあるので、お暇な時間がありましたら是非行ってみてくださいね。
今回が2020年の締めくくりであろう投稿となりますが、今年も読者様の応援が支えとなり、更新が
継続できたことを心から感謝申し上げます。
大変な時期でありますし『静かな年末年始を』と言われているので、晴れやかな気分にはなりにくいと
思いますが、その分、皆様が元気になれたり気がまぎれるようなレポートをお届けできればと考えており
ますので、2021年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
それでは皆様、よいお年をお迎えください。m(_ _"m)
2020年は色々な面で我慢を強いられた年でしたね。
我が息子はバレーボール部主将を務めていて、今のチームで県大会出場を目標に奮闘していたところで
大会中止を宣告され、不完全燃焼のまま受験生へ移行してしまいました。
もちろん息子だけではなく、多くの方々が同じように悔しい思いや、不完全燃焼の状態を強いられた
ことでしょう。
変異種なる新型コロナウイルスも確認され、この年末年始含め、まだまだ厳重な警戒態勢の必要な生活が
続きますが、極力リスクを避けて2021年も乗り切っていきたいものです。。。
と、締めのような言葉で始めてしまいましたが、今回のレポートは、娘の通う大学で課題となっている
愛知県名古屋市にある『トヨタ産業技術記念館』へ見学に行き、へぇ~と思ったことをお伝えします。
まぁご存じの方が多い内容かもしれませんが、しばしお付き合いください。m(_ _"m)
歴史の深さを印象付けるかのように、赤レンガ造りをイメージした外観の建物が、出迎えてくれます。
である、豊田佐吉翁が設立した(株)豊田自動織機のブースから始まります。
トヨタ自動車のルーツをたどると、昔話にある『鶴の恩返し』で登場する『はた織り機』の改良が原点
なんですね。
普段、何気に着用している服などの布は、縦糸と横糸で構成されていて、はた織り機は長い縦糸に対し
横糸を通して『ガチャンガチャン』と織り機を動かし、布の目を詰めていきます。
当時、母親が横糸を通すのを見た少年時代の佐吉翁は、あれを何とか楽にしてやる事はできないだろうか?
と考え、研究に没頭し、横糸を自動で飛ばす機構を開発したのが始まりです。
そうやって研究家、発明家としての佐吉翁が誕生したわけですが、今のトヨタ自動車に根付いている
『改善活動』の元にもなっているわけです。
その後、はた織り機は次々に進化を遂げ、完全自動化までこぎつけ、さらには機械が勝手に縦糸の異常を
感知し機会を止める機構までも開発、自動化のを『人が見ているような機構を加えた、自働化』と表現
されたと言われています。
そんな感じで、館内の序盤は豊田佐吉翁、豊田自動織機が進化させてきた『はた織り機=織機』が進化の
過程がわかるように数多く展示されていて、実演作動もさせていただけるんです。
ここまで長々と説明しましたが、画像が全くございません。m(_ _"m)
そして、佐吉翁の息子である豊田喜一郎氏が、現在のトヨタ自動車を立ち上げたわけですが、3回目の
見学にして初めて知ったことがありました。( ̄▽ ̄;)
それは『トヨタ自動車』の元々は苗字である『トヨダ』と濁点が付いていたということ。
そこから、ある時を境にある理由があって『トヨタ』へと変更されたんです。その理由についての説明文を拡大しておきますので、一読いただければ『へぇ~!』となるでしょう。
ちなみに、説明文にある一般公募で届いた数千件の中から選ばれ、採用賞金は現在の物価にすると30万円
相当だったとのことを、綺麗なスタッフのお姉さんが教えてくれました。(´∀`*)ポッ
今回のお伝えしたいことは以上と、あまり濃い内容ではないんですけどね。(;^_^A アセアセ・・・
あとは、娘の課題にあるエンジン部品の『コンロッド鍛造実演』やらボディー外板の『プレス機構造』
組み立てラインの『ロボット実演』などを見学。
最後は展示車にテンションを上げつつ、画像を収めてきたのは言うまでもないことですが、数々の名車が
並んでいる中、私の気になった車両を数台ピックアップして紹介しますね。
まずは1台目、発表された時は非常に衝撃を受けたのがこの『セルシオ(UCF10)』前期型です。
1989年に登場した初代セルシオのデザインは、バン!と存在感をアピールするグリルが印象的でした。
搭載エンジンは1UZ-FE型 V8の4.0Lで、当時は静粛性でメルセデスを圧倒したとか。
この頃からでしょうか、『いつかはクラウン』と言うセリフが『いきなりクラウン、いつかはセルシオ』
なんて若者の自動車事情が変化したのを覚えています。
様々なジャンルの車を好む私は、例にもれずセルシオのプラモデルを3つ購入し、1つはフルノーマルで
組上げ、2つ目はただのシャコタン、3つ目は屋根を切ってタケヤリマフラー付けて…なんてことをして
楽しんでましたね。(;´∀`)
そして、通称『ダルマセリカ』でお馴染みの『セリカ クーペ 1600GT(TA20型)』は1970年
12月に登場、当時は珍しい丸みを帯びたふくよかなボディーラインが『ダルマ』の由来だとか。
ヤマハ製2T-G DOHCエンジンは最上級モデルの1600GTに搭載されていたそうです。
1972年8月にはマイナーチェンジでモータースポーツ用ベース車両として、サスペンションを強化した
『1600GTV』が追加され、1973年4月には3ドアリフトバック(LB)が登場、エンジンは
高性能版の2.0L DOHCを搭載した『LB2000GT』が人気を集めたそうです。
そして1977年がモデル末期、型式がTA30型に統一され、特別使用車の『ブラックセリカ』が
登場し、ダルマセリカの時代に幕を下ろすという、ふか~い歴史が刻まれていたんですね。
次は大御所の『トヨタ 2000GT(MF10)』は1967年~1970年の販売期間、写真は前期型
直列6気筒 DOHC 3M型を搭載している車両です。
当時の車両価格は238万円、21世紀初頭の物価にすると1500万円~2000万円に相当すると
言われていて、やはり一般人にとっては高嶺の花的な超高級車だったことは言うまでもないですね。
わたくし、実は後期型があることを最近知ったんですが、近所の国道で後期型を見かけたんですよ。
気付いたのはリヤのリフレクターが大きかったので違和感を感じたんですけどねぇ。
パッと見てわかる部分として、フロントフォグの大きさが後期型は小さくなっていたはずです。
映画『007』のボンドカーとして使われていた名車は、今も9割は現存しているらしいですよ。
最後は『レクサス LFA』は、2010年12月~2012年12月の間で限定500台を生産・販売した
現在の超高級スポーツカーです。
V10 DOHC 4.8Lを搭載したこの車両、走行中の排気音を聞いたことがありますが、心地の良い
甲高いサウンドがスポーツカーファンの心をくすぐるんです。
排気音含めたマフラーのチューニングはヤマハが手掛けたとか言う話を聞いたことがあります。
販売価格は3750万円とマイホーム2軒分ほどの目ん玉飛び出るほどの金額に、思わず『家やん!』
とツッコミを入れたくなってしまいました。
他にもトヨダ時代の車両も含めて沢山の展示車と、歴代トヨタ車のミニカーも飾られていて、自動車好き
には非常にテンションの上がるゾーンがあるので、お暇な時間がありましたら是非行ってみてくださいね。
今回が2020年の締めくくりであろう投稿となりますが、今年も読者様の応援が支えとなり、更新が
継続できたことを心から感謝申し上げます。
大変な時期でありますし『静かな年末年始を』と言われているので、晴れやかな気分にはなりにくいと
思いますが、その分、皆様が元気になれたり気がまぎれるようなレポートをお届けできればと考えており
ますので、2021年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
それでは皆様、よいお年をお迎えください。m(_ _"m)
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