なかなかの梅雨模様でスッキリ晴れる日が恋しいこの頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

大雨の影響で被害を受けた方々も多いようで、私の親戚も熊本に居ますが幸いにも全員無事とのことですが
くれぐれも今後の気象変化に十分注意して、安全第一で行動していただきたいと思います。

災害に合われた皆様、心よりお見舞い申し上げます。


さて椎間板ヘルニア予備軍の私はと言いますと、幸い勤務地のすぐそばにある接骨院へ通っているので
時間が許す時は退社後に通院する生活が始まりまして、劇的な回復はありませんが地道に回復させようと
思っている次第であります。

天候と体調の関係で、大人しくお部屋のお掃除でもとホコリを払っていた時に懐かしのアルバムを見つけ
ちゃいました!

見つけた写真を眺めて思い出に浸り掃除時間が無くなっちゃう『大掃除アルアル』ですね。(;^ω^)

何を見つけたかと言いますと、全車揃ってませんが歴代マイカーの写真と若かりし頃に通っていた峠の
『ローリング族』通称『走り屋』の写真です。

工業高校に進学した私ですが、それはそれは真面目な少年でしてバイクの免許を取る事もなく週末になると
こっそり自宅から見える裏山の峠道へ通っていました。

ん?どうやって行ってたかって? それは。。。自転車です。かね(;´Д`A ```

当時は『バリバリ伝説』と言う漫画の影響もあり峠は『ローリング族』でごった返すほどでして、大人気
雑誌『バリバリマシン』の投稿写真やイラストにも送っていましたっけ。




まだ銀塩フィルムで写真を撮りまくっていた頃、山の斜面に寝そべりガードレール下からファインダーを
覗いてお目当ての走り屋さんとバイクを激写したのが私はヘタクソでしたし、カメラの性能も低かったので
友人にお願いして撮影してもらった、お宝写真がこちら!
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見覚えある方も居るのではないかと思いますが、雑誌にも載っていたはずです。

車両は『ヤマハ TZR250(3MA)』代名詞となった『後方排気』でマールボロカラーに塗装され
ひと際目立つ存在でした。
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時代はモータースポーツブームでしたし、日本の2輪レースも盛んで日本人ライダーが世界で活躍していた
時代でしたね。

ヤマハワークスで言えば懐かしのテック21でお馴染み『平 忠彦選手』とか、プライベーターから彗星の
ごとくワークス入りした『本間 俊彦選手』などがいらっしゃいましたね。

その方々がきっと開発を担っていたんでしょうが、共同開発だった市販レーサーの『TZ250』も
後方排気で『一卵性双生児』のようなものでした。


 

車両スペックなどは詳しくありませんが、とにかく見た目が衝撃的にかっこよくホンダ派だった私でも
この車両も(!)心躍りました。

で、雑誌『バリバリマシン』に『男の背中』なんていう投稿写真のコーナーがありまして、それを真似て
激写してもらったのがコーナーに浸入していく後姿です。
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『早く中免(中型自動二輪免許)を取ってVFR400で俺も峠にレースに!』と毎日のように夢を描き
イメージトレーニングに励んでいました。えへへ(〃´∪`〃)ゞ

今となっては雲をつかむような夢を追いかけていましたが、青春の1ページがこの頃の写真ですね。
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他にも沢山の写真がありましたが、見せられるのが友人に撮ってもらったものだけというのが残念ですが
久々に心が躍りワクワクしてしまったので、記事にしてみました。

『バイクの系譜』と言う個人サイトさまに『YAMAHA TZR250(3MA)1989年』の主要諸元などが詳しく
掲載されていますし、その他の車種も沢山掲載されていますので、興味ある方は是非ご覧ください。


いやぁ~久しぶりに若かりし頃に感じたワクワクがこみ上げてきて、またヒザ擦って走りたくなりました!

たまには2輪の記事も良いですね! 思い出話になりますが、たまには掲載しようかなぁと思います♪